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弁慶誕生の地(和歌山県) [弁慶]

2011年12月10日

「西塔武蔵坊弁慶」が正式名称である。源義経の”一の子分”と呼ぶに相応しい、余りにも有名な人物。一説には「弁慶」は実在の人物ではないとする説もあるが、鎌倉幕府の正式な記録「吾妻鏡」には、源義経の部下として”武蔵坊弁慶”の記載がある。私は「実在説」を取りたいと思っている。

”弁慶の出生地”は、実在か否かの話もあることから、定かにはなっていないが、有名な所では「和歌山県田辺市」と「島根県松江市」があるようだ。また、田辺市と松江市双方に伝わる「弁慶出生伝説」には、当然ながら食い違いが生じている。
「田辺市」では、「弁慶は熊野別当”湛増(たんぞう;たんそう、たんそ、とも言われる)”の子」とされているが、「松江市」では弁吉(母)と山伏(父)の間にできた子とされているようだ。
また、”Wikipedia”の中でも矛盾が生じている。「武蔵坊弁慶生誕伝説」の項では、母親を「弁吉」とし、松江を中心とする出雲地方の伝説を紹介しているが、同項「関連」でリンクを貼っている”Wikipedia”内「武蔵坊弁慶」では、母親は「二位大納言の娘」とし、熊野別当”湛増”が強奪して産ませた子としている。
<「義経記」によれば、熊野の別当”弁生(べんしょう)”が二位の大納言の娘に産ませたのが鬼若(武蔵坊弁慶)であるとしている。2012年3月9日追記>
何れにしても、弁慶は生まれた時から尋常な子ではなかったようで、母親の胎内に13ヶ月いたとか、3年いた(「弁慶物語」)とか言われ、生まれた時には歯が全てはえ揃い、髪は肩まで伸びていたというような逸話が残っている。また、そのような弁慶の容姿を見て、親は「鬼若」と名付けたとしている。

今回は「和歌山県田辺市」にある「弁慶ゆかり」の場所を探訪して来た。

1112100048改.JPG1112100051.JPG当地「田辺市」の玄関とも言える「JR紀伊田辺駅」とそこに建てられた弁慶の像から紹介する。

田辺市観光協会」の解説によれば、「弁慶誕生の地:源平時代その武勇機略を以って活躍した快傑武蔵坊弁慶は 熊野の別当湛増の子としてこの田辺の地にうまれた 市内には弁慶井戸、産湯の釜、弁慶松、腰掛石等が遺っている 弁慶衣川に死して既に七百八十二年 今ここに弁慶を顕彰するため橘堅次郎氏の篤志により高岡市の彫刻家米治一氏に依頼し昭和四十六年九月この像を建てた」と記されている。





1112100025.JPG1112100028.JPG駅から歩いて10分程の所に、弁慶の父とされる熊野別当”湛増”が、”平家につくか、源氏につくか”を紅白の鶏を戦わせ(闘鶏)た結果、「白」が勝ったので源氏に味方することにし、”屋島の合戦”、”壇ノ浦の合戦”で源氏に勝利をもたらした。その闘鶏を行った場所とされるのが、「闘けい(「鶏」の字の鳥がふるとり)神社」である。
当神社には、弁慶を祭神とする「弁慶社」がある。また社務所内には弁慶、義経、湛増ゆかりの宝物が展示されている。


1112100036.JPG「闘けい神社」
1112100041.JPG

「武蔵坊弁慶産湯の釜」



1112100042.JPG「別当湛増着用の鉄烏帽子」
1112100043.JPG

「湛増所持の鉄扇」



1112100044.JPG「源義経公御奉納 白龍横笛一管」
1112100038.JPG

「湛増弁慶の像」







1112100047.JPG「弁慶誕生の地」  「闘けい神社」の直ぐ隣り位の「大福院」にある。此処は1867(明治元)年の神仏分離令によって元々は一緒だった闘けい神社から分離し、現在に至っている。
元々は「武蔵坊弁慶産湯の釜」や「別当湛増着用の鉄烏帽子」なども此処にあったようである。





1112100052.JPG1112100054.JPG「弁慶観音」 ネットの情報によれば「海蔵寺」というお寺に保存されているとのこと。県文化財指定の仏像だそうだが、実物を見ることは出来なかった。境内にある「大慈閣」という建物の中に写真のようなパネルが置いてあったので、ガラス越しに撮らせて頂いた。





1112100062.JPG1112100059.JPG「弁慶の腰掛石」 「八坂神社」境内にある。弁慶が少年時代に、この石に座ったとと言われており、お尻の形をした凹みがあった。

1112100058.JPG神社自体は非常に小さなものであったが、綺麗に手入れがされていた。入り口の鳥居の脇には、大阪の俳人”榎並舎羅”の句碑があった。





1112100063.JPG1112100065.JPG「第六代目弁慶松・弁慶産湯の井戸」 三代目弁慶松が江戸時代の当地藩主安藤氏によって、闘けい神社裏山から移植されたものだが、その種子から育ったのが「六代目弁慶松」である。また、弁慶の産湯の水を汲んだと伝えられる「産湯の井戸」は、田辺市立第一小学校にあったものが復元された。どちらも現在は「田辺市役所」の入口近くに保存されている。


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コメント 2

sajama

かめ様
こんばんは。 

精力的な探訪の旅路が続いていますね。

深く長い歴史の1頁とあれば、時に判らない部分がある事が却って興味を惹くことも寧ろその値うちの一つかと思われます。 その時代にあった人物と行動そのものをそっくり自分の活きる時代に移して真似る事は無理なのでしょうから、結局はその人の他の人との繋がりの中での心持ちの部分に、自分の迷いを解きほぐす作用を探す事が歴史を読む面白さの一つなのかも知れません。

関西駐在が義経伝説探訪にどれ程優位な事かを一旦は横に置いても、もう少しかめさんの行動力を見習って、私も芭蕉の細道を辿らねばと思うのですが、どうも最近は東北の一部地域に心が張り付いて仕舞って白河の関以北、中々に松島にまでは至らない事を反省しながら、この和歌山紀行を拝読させて頂きました。 象潟の前後を少し計画して見ます♪♪
by sajama (2011-12-30 16:42) 

かめ

>sajamaさん

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。

相変わらず遅レスで申し訳ありません。m(__)m

「精力的」に動いているつもりはないのですが、ご指摘の通り、”関西”という「歴史の宝庫」の中では「行く先々に歴史が転がっている」という感じです。
とは言いながら、限られた人間の限られた時間の中での足跡は、やはり探さなければならず、流石に「イヌも歩けば・・・」という訳には行きません。(笑)

sajamaさんの「芭蕉」も期待していますが、仰られるように白神山地を始めとする東北の大自然や、そこに生息する鳥達などに惹かれている今のsajamaさんの成果も非常に楽しみにしています。
色々な物に興味を持たれ、それに集中されるsajamaさんの姿勢は、素晴らしいし、見ている者にも好感を呼びます。
「なかなか芭蕉に手が付けられない」と仰っしゃいますが、それもありではないでしょうか?だって、それよりももっと魅力的なものが見えてしまっては。

今年もsajamaさんの素晴らしい作品の数々を期待しています。頑張って下さい。
by かめ (2012-01-02 09:55) 

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