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弁慶堂(岩手県) [弁慶]

2012年8月18日

岩手県の平泉は、義経が鞍馬山を後にしてから、静岡県の黄瀬川で兄の頼朝と合流する間と、その頼朝と仲違いをして鎌倉幕府から追われる身となり、藤原秀衡を頼って再び当地に戻り、最終的には秀衡の息子泰衡に攻められて31年の生涯を終えた。その舞台となった地として、有名といえば余りにも有名な土地である。更に当地の中尊寺2011年に世界遺産にも登録となり、今や世界の平泉となってしまったといっても過言ではないだろう。

2度目の平泉には、義経に加えその郎党が供して来たが、あの武蔵坊弁慶も郎党の1人としてこの平泉に来ている。義経が衣川の高館で藤原泰衡の軍勢に攻められた時、主人義経を守る為に弁慶は果敢に戦い、最後は有名な「弁慶の立ち往生」で亡くなったとされている。 

2012-08-18_0075.JPG2012-08-18_0078.JPG<弁慶堂>
中尊寺の中にある弁慶堂の解説には「この堂は通称弁慶堂という文政9年(1826)の再建である。藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀り愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の木像を安置す。弁慶像は文治5年(1189)4月高館落城と共に主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり。更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。」とされており、今にその名を残している。


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