SSブログ

三輪厳島神社(東京都) [源平合戦]

2013年1月5日

義経は治承4年、兄源頼朝の挙兵に参加すべく、奥州平泉から弁慶等郎党を伴って鎌倉へ向った。義経主従が多摩川を船で渡ろうとした時に、折り悪く二百十日の台風シーズンであったために、強風に煽られて大森辺り(東京都大田区大森)まで流されてしまった。陸地に社が見えたため神の加護と海上平穏を祈った所、たちまち強風が治まったため、神に感謝して社殿を修理し、船を泊めた所に注連竹(しめたけ)を建てたという。

<三輪厳嶋神社> 東京都大田区大森東4丁目35−3

2013-01-05_0002.JPG2013-01-05_0004.JPG当社は、R131(産業道路)の「弁天神社前」の交差点の所にある。同社境内には弁財天を祀る社もある。

境内にある説明書きには「かしこくも、当社の祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)の御女市杵嶋姫命(みじょいちきしまひめのみこと)にまします。謹みて創立の起源を神記口碑(しんきこうひ)に因(よ)り案ずるに。安徳帝治承四年(1180年)源義経は武蔵坊弁慶・伊勢三郎・駿河治郎等の郎徒を具し、東海道玉川の渡しを過ぎけるが、頃しも二百十日の厄日にて南西の風吹き荒(すさ)び、舟は見る見る押し流され大森下に漂えば一同安き心なく、波方(なみかた)を望むれば、小高き杜(もり)見えしかわ、これ神のおはします処と其の方に向い、海上平穏を念じければ、不思議や風やみ浪治まりぬ。義経霊に感じ、舟を瀬島につけ、葭(かや)をなぎ葦(あし)を分けて彼方の森を尋(たず)ぬれば、ささやかなる社(やしろ)の縁に白蛇顕われいたり。これ神の使ひなめならぬ。かしこし、厳嶋大神(いつくしまのおおかみ)我等が運を守らせ給ひしことよと、里人に語らい改めて森を拓き、神殿を修理し、また船をとどめし処に注連竹(しめたけ)を建て給う。是れ当社創立、起立の起源にして今を去ること八百年に及ぶ。
是れより里人等神徳を尊ぶこと愈々(いよいよ)深く、海面守護の神として毎年正月十一日水神を祀(まつ)りしが、ある年海面に建てし注連竹(しめたけ)に黒き苔生じければ、人々怪しみてこれを採り嗜(たしな)めけるに味あり。生酢干かにして食せば殊に風味よし翌年其の頃を計りて木枝多く建てけるに、またまた苔の生じければ種々製造法を考え遂に現今の如き乾海苔に製し年と共に製造するもの多し、海の苔即ち「のり」と称し鎌倉将軍に献上の栄を担い、江戸幕府開かるるに及び毎年将軍家に献上し、維新の際まで変わることなかりしは人の皆知る処なり。
嗚呼、大森の名産とし名誉海外にたかき海苔の濫觴(らんしょう)たる如斯(かくのごとく)にして、如何に我が厳嶋大神の海面御守護の御神徳高きか、かしこくも尊きことにこそ。」
と記されていた。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。