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弁慶の首塚 他(神奈川県) [弁慶]

2012年12月8日

「弁慶の立ち往生」とは「故事ことわざ辞典」によれば「進むことも退くこともできないことのたとえ。」で「衣川の合戦で、弁慶は義経をかばうためになぎなたを杖にして、橋の中央に立ち、敵の攻撃を全身で受けて、立ったまま死んだという伝説」から転じたと解説されている。
このように、武蔵坊弁慶は岩手県平泉の衣川で、源義経と共に殉死している。そして吾妻鏡を始めとする各書物では、自害した義経を始め主だった部下の首級(くび)を藤原泰衡が鎌倉に届けているが、首実検された義経の首は、鎌倉の海岸にそのまま打ち捨てられているため、恐らく弁慶以下の首も同様だったのではないかと思われる。

<弁慶の首塚>

2012-12-08_0033.JPG2012-12-08_0034.JPG小田急線「藤沢本町駅」から数分の距離に「常光寺」が有り、白旗神社のHPで示されている地図からはこの寺の裏側に<弁慶の首塚>があるように見える。そこで、寺の境内から裏手に回り込むと、そこは一帯が寺の墓地となっていて、どこに塚があるのか判然としなかった。仕方なく寺の住職の方に教えを乞うと、寺の脇の道を入って行くと小さな祠(ほこら)があり、それが<弁慶の首塚>であるとのこと。行って見ると、確かに位置的に寺の裏手になる所に祠があり、中の碑を見ると「弁慶」の字が見て取れた。しかし、説明書きも何もなく、常光寺で聞いて行かなければ、恐らく発見は難しかったであろう。
この場所は、昔弁慶を祀る八王子社があった所らしいが、現在は八王子社はない。

<弁慶の力石>

2012-12-08_0040.JPG2012-12-08_0041.JPG白旗神社の社脇に<弁慶の力石>なるものがある。石の脇にある解説によれば、「力石の起源は、石占(いしうら)といわれています。神社に置かれた特定の石を、老若男女にかかわらず願い事を唱えて持ち上げ、その重い、軽いの感触によって願い事の成否・吉凶を占っていました。
しかし、時代の流れによって娯楽や鍛錬のための力試しになったといわれています。
白旗神社「弁慶の力石」はその昔、神社の西側古美根茶屋(現、古美根菓子舗)前に置かれ、茶屋で一服する近郊農家や町内の力自慢がこの石を持ち上げ力比べをしたといわれています。
この石は神石とも呼ばれ、この石に触れると健康になり病気をしないといわれています。(後略)」
と書かれている。

<弁慶の手玉石>

2012-12-08_0021.JPG江ノ電「腰越駅」近くの万福寺の境内にある<弁慶の手玉石>については何も解説がなく、その謂れは分からなかったが、石の形と重さから「弁慶ならお手玉にできるだろう」との発想で名付けられたのではないかと思われた。


<弁慶の腰掛石>

2012-12-08_0022.JPG同じ万福寺の境内(<弁慶の手玉石>の隣り)にある<弁慶の腰掛石>である。これについても特に解説はなかった。



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