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義経街道(栃木県)-弐- [源平合戦]

2013年4月28日

2013-04-28_0018.JPG2013-04-28_0019.JPG<沓石(くついし)>

【義経伝説「4」】は義経の乗った馬の足跡が岩に残っている所からこの名がついたとされている。【義経伝説「3」】の「五両沢」からは1kmほどの距離にある。
 

2013-04-28_0020.JPG石(岩?)は義経街道の道沿いにあり、すぐ傍には同名のバス停もあった。
2013-04-28_0017.JPG「義経伝説」の説明板には「やがて、義経一行は追分の山あいを抜けて、やや広い里に出てきました。今は「沓石」と呼ばれるこの里に、大きな石が道の左側に横たわっています。これを沓石といいますが、里の名もこの石からでたのだといわれています。
この石の上に、馬の足跡のようなへこみがあります。これは、義経の乗馬の足跡だといわれています。この沓石の里には、わらじ石とか、義経(または弁慶)が汗ににじんだ衣類などを洗濯したという「たらい石」とかがあったのですが、道路補修のため、今は道の下にうずもれてしまっているということです。これらの石のほか、弁慶が行く先々の武運を占ったという「矢の根石」などもあったと言います。」
と書かれており、この地区の名前にもなっていることが分かる。

2013-04-28_0015.JPG2013-04-28_0014.JPG<滝の宮(たきのみや)>

【義経伝説「6」】は義経一行がここで一休みし、武運を祈ったとされている。上の【義経伝説「3」】「沓石」から約3kmの距離にある。

県道76号から脇道に入るが、この時は県道から宮の祠が見えたため、行き過ぎることはなかった。

2013-04-28_0013.JPG2013-04-28_0012.JPG「義経伝説」の説明板に「大畑を過ぎると山あいは広く広くなり、道の下の流れも三蔵(さんぞう)と呼ばれる水かさのました川になります。みの沢を過ぎた崖のところに小さな祠(ほこら)がありました。義経一行は、残暑の強い秋の陽を避けてここに一休みします。祠のすぐ裏に細い滝がかかり、ちょうど鈴でも鳴らしたようなすがすがしい音をたてて、三蔵の流れへ落ちています。里人はこの滝を「鈴なりの滝」と呼んでいました。祠をめぐる木立(こだち)から崖へかけて「くず」が、葡萄色(ぶどういろ)の花をいっぱいに咲かせてるその葉は珍しく四ツ葉でした。「滝の宮の四ツ葉のくず」として言い伝えられていましたが、いまではその「くず」はなく、ただ伝説としてのこっているだけです。
一休みした義経一行は、滝の宮に武運を祈って、ここを発ちました。」
と書かれていた。

2013-04-28_0008.JPG<御弊石(おんべし)>

【義経伝説「7」】では義経が腰掛けた石「義経の腰掛石」があるそうだが、今となってはどの石がそれなのか分からないため、この辺を「おんべし」と呼んでいるそうである。上の【義経伝説「6」】「滝の宮」から1km強の距離にある。

2013-04-28_0010.JPG県道60号の脇の小高い山の斜面のような所に、この「おんべし」はあった。解説板の説明には、県道からの入り口から「弊石神社」の参道辺りまで、大きな石がゴロゴロとあったようだが、今は所々に面影が見えるだけである。


2013-04-28_0007.JPG「義経伝説」の説明板には「川に沿った道を行くと、すぐ、右手にゴツゴツとした石山が見えました。太い、高い松や桜が、石山をおおうように生い茂っています。上に登ってみると、粗末な石の祠(ほこら)があり、まわりに大きな石がゴロゴロしています。その石のいくつかは、下の畑に転がり落ちていました。ここで義経が腰掛けた石を「義経の腰掛石」と言っていますが、さて、その石はどれなのか分かりません。ここを今、「おんべし」と呼んでいます。 注)おんべし(御弊石) 義経が兄の挙兵に呼応して上る時、武運を祈ってこの岩に御幣を奉ったことによるという。


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