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飯縄寺(千葉県) [鞍馬から平泉]

2013年2月8日

「源義経」という人物の行動には不明な点が多々あり、移動の際のルートなども不明ということが多い。幼少期に預けられた「鞍馬寺」を抜け出し、奥州平泉の藤原氏の所まで行った時も、どのようなルートで京都から平泉まで行ったのか明らかになっていない。更には、同行者がいたのかいなかったのか、いたとするならそれは誰だったのか(通説では奥州の金商人「金売吉次」の隊商に紛れて行ったとされる。しかし「金売吉次」そのものの存在を疑う説もあるようだ。)。今も明らかにはなっていない。

2013-02-08_0012.JPG今回紹介する「飯縄寺」は、私の別ブログ「雑記帳」の「房総の彫刻師-波の伊八-」でも紹介しているように、千葉県いすみ市(房総半島)にある慈覚大師(円仁)が開祖と言われる由緒正しきお寺である。
ここに義経は、平泉に向かう途中で立寄ったとされている。

<飯縄寺(いづなでら)>千葉県いすみ市岬町和泉2935

2013-02-08_0013.JPGご存知のように、牛若丸(義経)が京の鞍馬寺で天狗に剣術を習ったという話は有名だが、後に、2013-02-08_0018改.jpg鞍馬寺を出て奥州平泉に向かう際に、鞍馬の「天狗」に「上総の国の飯縄寺に知合いの天狗がいるから寄ってみるがいい。」と言われ、当寺に立寄ったという伝説がある。また、”いすみ市立長者小学校”のHPによれば、「昔,夷隅川には大きなナマズがすんでいて,村人から食べ物やお酒,若い娘をみつがせて,要求に応じないと暴れて川の水をあふれさせたり,山津波を起こすというとんでもなく悪いヤツでした。そこに京都から奥州(岩手県南部)に行く途中に清水寺に立ち寄った牛若丸と弁慶がその話を聞きます。清水寺の大吊り鐘を運ばせ,弁慶の怪力で大ナマズにかぶせ,みごとに退治します。鐘を運んだ人は「大鐘」という姓をもらい,大ナマズを鐘ごと深く沈めたその場所は,現在の轟橋のそばで「鐘ガ淵」と呼ばれています。(太東岬物語)また、2013-02-08_0022改.jpg牛若丸と弁慶は和泉の飯縄寺に宿泊し,弁慶は牛若丸が京都の鞍馬寺で天狗を相手に修行した様子を絵馬に描いたそうです。絵馬は残っていませんが,弁慶と牛若丸の絵馬や天狗の面があり,飯縄寺は「天狗のお寺」と呼ばれています。」と紹介されている。



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