三八城山と弁慶石(青森県) [弁慶]
<三八城(みやぎ)山と弁慶石>
青森県八戸市内丸1-14-49他
源義経主従の中で、武蔵坊弁慶はその怪力が有名となっている。怪力が所以となって「弁慶のXX」という物が全国各地に存在する。ここ「三八城神社」にも「弁慶石」が残されていた。
三八城神社は、その名の通り八戸城本丸跡地に造られた三八城公園内にある。【義経北行の旅案内板について】という案内板には「この地方には、源九郎判官義経が平泉を脱出し、北へ向かったという語り伝えが有り、八戸市内にも義経の北行にまつわる伝説を裏づける多くの地名や品々が残っている。これらの紹介が歴史ロマン散策の資となることを願って市内伝説の足跡16ケ所に案内板を設置した。」と解説し、その同じ案内板に「【三八城山と弁慶石】 義経が、高館の御所から見渡して、馬渕川の東の野原を京ケ原と名付け、また京ケ原の北の州先を京ケ崎と命名したのが、今の三八城山である。足下のこの大きな石は、弁慶石と呼ばれ、昔は境内南側のコブシの木のあたりに置かれていたという。
石のところどころが、人間の大きな足型のようにくぼんでいるのが、力自慢の弁慶が岩にしるした足型だといわれている。 社団法人 八戸観光協会」と弁慶石を紹介している。因みに、昔は「義経石」もあったようだが、現在は行方不明になっているようだ。
コメント 0